2009年11月21日土曜日

報道ニッポン マイボトル

以前、雑誌「現代画報」には「不景気」に関する記事が載っていたように記憶しています。「現代画報」だけではなく、「国際ジャーナル」でも取り上げられていたかもしれません。
不景気を理由に、「自分のこづかいが減らされた」「生活費を削っている」という人が多いかと思います。今まで昼休みには「近所の食堂で食べていた」「コンビニで弁当を買っていた」という人も家から弁当持参で出勤する人が増えてきているようです。独身男性でも朝起きてから自分で弁当を作り、職場に持参するという人も少なくはないようです。
そして「飲み物」です。今まで「コンビニでお茶やコーヒー買っていた」「自販機で買っていた」という人も家から持参して会社で飲む・・・という人が増えているようなのです。「マイボトル」に入れて持参するようですが、ある新聞の統計によると一番多いのが「お茶」で64パーセント、「水」が18パーセント、清涼飲料水が12パーセント、その他が6パーセントだそうです。持参するお茶の種類は豊富で緑茶、ほうじ茶、麦茶、そば茶など、その日の気分で決めるのか、家にあるお茶がそれしかないのか、様々のようです。
また、人によっては「マイボトル」を複数本持参する人もいるようです。1つはお茶、1つはコーヒー、1つは清涼飲料水などだそうです。私の知人の旦那さんも2本職場に持っていっているようで、麦茶とホットコーヒーなのだそうです。今まで、コンビニでコーヒーを毎日買っていたそうですが、不景気の影響で給料が減り、それがきっかけで「マイボトル」を用意したそうです。ちなみに私の主人は、マイボトルが話題になる前から毎日のようにお茶を持参しています。「マイボトル」という格好いい入れ物ではありませんが・・・。
記事に「マイボトルは、エコと節約効果が期待できそうだ」というコメントがありました。「地球にやさしい」「財布にやさしい」かもしれませんね。
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2009年11月17日火曜日

報道ニッポン 男性用洗顔料

雑誌「報道ニッポン」には、「美容」をテーマにした特集が紹介されています。
肌のお手入れをしているのは決して女性だけではありません。男性も肌のお手入れをしている方が多いかと思います。先日ある新聞に「男性用洗顔料」の特集が載っていました。顔の脂分やニキビ予防など肌のお手入れに関心を持つ男性がやはり多いとのことです。こうした傾向を反映して、若い世代を中心に石鹸ではなく「男性洗顔料」を使う人が増えているのだそうです。もう、「石鹸でパッと洗う」という方法は古いのでしょうか。
脂をすっきり落とす爽快感が特徴の商品ばかりではなく、肌への刺激を抑える商品もあり、品揃え豊富です。あるスーパーでは、女性化粧品コーナー顔負けの「男性化粧品コーナー」が大きく設けられています。
この男性用洗顔料は1990年前半から店頭に並ぶようになったそうです。ある大手化粧品メーカーの調査によると、2008年度の男性用洗顔料の市場規模は69億円で、2004年度比で30パーセント増えたそうです。15歳から30歳代の使用率が7割に上るが、仕事の現場でも「見た目が大事」と考える中高年男性も増えてきているのだそうです。メーカー各社は市場規模はさらに拡大するだろうと期待しているそうです。皮脂やニキビに関する悩みを解消するための洗顔料、肌の黒ずみ対策を重点に置いた洗顔料、テカリやほてり、乾燥対策の洗顔料など、女性用洗顔料にもあるような豊富な種類です。
「美容は女性の永遠のテーマ」と言われていますが、男性にとっても「美容は永遠のテーマ」なのかもしれませんね。
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2009年11月14日土曜日

報道ニッポン 日本の象徴

天皇陛下が即位して20年になるんですね。平成20年だから、あ そうかと気づくわけですが、もう20年も経ったんだなあと思います。自分のことを振り返ってみれば、昭和よりも平成になってからの人生の方が長いことにも、あっと驚いたり。平成生まれが成人を迎えていることにも時の流れを感じてしまいます。会見の中で、皇后妃が「象徴の意味は今も言葉には表しがたい」と述べられていて、国の象徴として生きるというのは、言葉も難しければ、それを実践するのも難しいことなんだろうなとしみじみ思いました。日本という国の象徴だから、揺るぎない生き方をしなくちゃいけない、かと言って主義主張を前面に持ってこられない、人なのに人じゃない、象徴ですってことですよね。天皇制がどうのこうの言う気はないけれど、とにかく象徴で有り続けることの大変さは国民にも伝わっているんじゃないでしょうか。それに、天皇皇后両陛下の慰霊行脚や被災地への速やかな慰問には頭が下がります。年配の人たちにとっては象徴以上の存在になっていることは明らかですし。次世代へ、どういう風に「象徴としての天皇」が受け継がれていくのか、ちょっと興味があります。高齢化社会についての記事は国際通信社の各雑誌でも取り上げてますけど、皇室も少子高齢化していて、それをどう乗り越えていくのか、必ず「女性の天皇」問題が出てくるでしょうね。今の時勢からすると有りなんじゃないの?という人が多いような気がします。まあ 日本の象徴が女性になることに抵抗がある人もいると思いますけど。そういう意味でも、象徴というのは重い言葉ですよね。戦後60年以上経っても、やはり象徴であるべきなのか、日本という国が揺らいでいるからこそ、象徴が必要なのか。誰かが決められる問題じゃないですね。

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2009年11月11日水曜日

報道ニッポン 携帯電話への情報提供

地域によっては、子供を学校に通わせる親が持つ携帯電話に「不審者情報」がメールで送られてくるというシステムが取り組まれているところがあるかと思います。登録する際にはもちろん無料なのです。携帯電話に関する記事が、以前に国際通信社が発行する雑誌に紹介されていたように思います。
私の住んでいる地域でもそのような取り込みが行われており、近所の方々は情報を送ってもらう為の携帯メールアドレスを登録しているようです。聞いてみると、毎日何かしらの情報が必ず送られてくるそうです。多いときには10件近くにもなり、驚く日もあるようなのです。「包丁を振りまわしている男性がいた」「知らない男性が話しかけてきた」などという内容なのだそうですが、現場の住所を見ると自宅から目と鼻の先なのです。近所の方は日中仕事をされているのですが、頻繁に不審者情報が送られてくると子供が無事かどうかかなり心配になるようで、家に何度も電話をかけるのだそうです。
以前、あるテレビ番組で紹介されていたのは子供が持つランドセルにICチップを内蔵させ、通学路には何台ものカメラが設置されているのです。通学路のカメラのある位置を我が子が通れば、親の持つ携帯電話に「今、公園を通過しました」「今、スーパーを通過しました」などの情報がメールで送られてくるというシステムがあるようなのです。家から学校までの通学時間は親が把握し、「公園を通過したらあと何分くらいで家に着く」などが理解でき、親としても安心できるそうです。
カメラの設置・・・ということで、人によっては「プライバシーの侵害」だと言う人がいるかもしれませんが、これが今の日本なのではないでしょうか。私も子供を持つ親として、安心して子供を学校に通わせるためには、カメラの設置もやむを得ないと思っているのです。それで子供の命が守られるのなら、また地域の方々の命が守られるのなら・・・。
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2009年11月6日金曜日

報道ニッポン バザー

以前、雑誌「国際ジャーナル」に「リサイクル」をテーマにした特集が紹介されていたと思います。
先日、ある幼稚園のバザーに知人数名と行ってきました。家庭で不要になった物を集めてバザーを行い、売上金は幼稚園の園児たちに使うという目的なのです。家庭で不要になった物を捨てるのは簡単ですが、バザーなどに出品し他の人に使ってもらうというのも立派なリサイクルだと思うのです。
その幼稚園は私の子供が通園する幼稚園ではなく、2010年いっぱいで廃園になる幼稚園なのです。入園を希望する方もいるようなのですが、思うように人数が集まらず今年入園した園児は18人と聞いています。ここ何年か園児が集まらないとの理由で廃園という形になったそうです。その廃園になってしまう幼稚園がどんな雰囲気なのかも知りたいと思い、バザーに行きました。2階建ての公立幼稚園で、建物の中に入ると綺麗な幼稚園でした。廃園になるのは本当にもったいないと思いました。幼稚園の先生方と挨拶をしましたが、雰囲気のいい素敵な先生が多いと感じました。人数が集まらないのに幼稚園の運営をするのは、市側が許さないのでしょうか。
バザーの話に戻りますが、建物に入る前には新型インフルエンザ予防対策ということで、手の消毒、そしてマスクが渡されました。子供連れの方には子供用のマスクが渡されました。建物内では、必ずマスク着用だったのです。
近所の方や少々距離があるような方でもバザーに来ていて、かなりの人数だったのにはびっくりしました。玩具、子供服、大人の服、食器など様々なものがありました。知人は、玩具や子供服を購入していましたが、私は子供服を5着ほど購入し全部で190円でした。いい買い物をしました。
近々、私の子供が通園する幼稚園でもバザーがあります。園児に役立ててもらえるような売上があれば嬉しいと思っています。

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2009年11月4日水曜日

報道ニッポン 一人にしないで

現代画報11月号に載っていた「ITボケ」の記事、あまり聞き慣れない言葉だったのでちょっと調べてみました。ITボケというのは、パソコンや携帯などのIT機器を四六時中使うことによって脳の機能が低下し、記憶障害などのボケ症状が出てくること。脳神経外科の医師の造語なんですね~。もう10年以上前からそんな症状の患者が出てきていたんだそうです。その筑山氏曰く、「ITに100%頼りきった生活をしていたら、半年ほどでITボケになる」そうですが、何しろその症例が恐い。仕事や用事は全てメール、人と会話することなくオフィスに篭りきって働いていたサラリーマンが、ある日電車の切符の買い方が分からなくなっていた、とか。我が身を振り返ってみると、毎日パソコンに向かって調べ事は大体ネットで済ませているし、文字を書くこともあまりない、携帯でメールしまくってるし、基本的に相手のメアドと電話番号は機械任せで覚えてない、うわー・・・やばいかも。。でも、家族が居るから救いはあるわ。毎日子どもの相手をしてるし、旦那とも話すし。その旦那もコンピューター関係の仕事してますが、漢字が咄嗟に出てこないことが多いと最近ぼやいてました。子どもに教えようにもお父さんがそれじゃマズイわな。一人暮らしの20代30代の人がボケ易いのは分かる気がします。仕事ばかりで自分の時間が持てない、友人ともなかなか遊べない、同僚とは反りが合わず・・となったら、生のコミュニケーションを取れるところがほとんど無くなりますものね。ITボケ対策はただ一つ、「人と交流する」ことだそうです。積極的に人と会話をすると結構脳ミソ使いますよね。相手の反応を見て、色んな角度から話題を広げていかないと、なかなか長く話すことは出来ないですからね。でも、そうやって考えて慮って、推測して想像して、人間は考える葦ですよ、コミュニケーションによってその脳を維持しているのかもしれませんよ。人は一人では生きていけないのだから。


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2009年11月2日月曜日

報道ニッポン 病いと差別と闘う

医師や被害者7団体でつくる、潜在する水俣病患者を発掘するための実行委員会が、最新の調査結果を報告しました。熊本、鹿児島両県の不知火海沿岸地域での検査で、未認定の受診者974人中、93%に当たる904人に水俣病特有の症状が確認されたということです。国が安全宣言を行なった1969年以降も、水俣病が発症していたことが明らかになりました。つまり、不知火海全体に汚染が広がっていたことが確認されたわけです。医療分野における科学的な進歩は目覚しいものがあります。以前は執刀することすら困難だった難しい手術が、精密機器によって可能になったり、早期発見で助かる事例が随分増えているでしょう。国際通信社の各雑誌でも、現代医療の進歩についての記事が見られます。水俣病に関しても、治らない病気という厳しい現実を前にしながらも、出来る限りの処置や補助(医療費の免除など)を受けてもらうために、このように患者を探しているのです。しかし、水俣病に立ちはだかるのは、病の苦しみと同じ、それ以上の「差別」の問題であったことを忘れてはならないでしょう。水俣病という言葉を知ったのは、小学校5年生のときです。担任だった先生が鹿児島県出身で、社会科か道徳の授業で詳しく取り上げて、当時の新聞をコピーして配り、メチル水銀の恐ろしさと水俣病に苦しむ人々について説明してくれた記憶があります。今振り返ってみると、「差別」という言葉も、この時に先生が教えてくれたのではないかと思うのです。どんなに医療が進んでも、あらゆる病気に対する根拠の無い風評、偏見、「差別」を無くす取り組みも同時に行なわない限り、日本の医療体制は貧しいままで終わってしまうのかもしれません。

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